期待を抱いた1992年型マシン フェラーリ F92A
1990年代前半のF1GPで、印象に残っているマシンを綴ってみようと思います。
まず1台目のマシンが、フェラーリが1992年シーズンを戦うマシンとして開発した「F92A」をピックアップしてみたいと思います。
前年の1991年はプロスト・アレジのドライバーラインアップで、「642」と「643」のマシンでは1勝も出来ず、タイトル争いからは完全に蚊帳の外となっていた。
「フェラーリ・FERRARI」と言う響きは特別で、F1初年度から参戦し続けている唯一のチームで、また市販車ではスーパーカーしか販売していないと言う、唯一無二のチームであり、「赤い跳ね馬」を街中で見かけると、羨望の眼差しで今でもクルマを追ってしまう、それ程「フェラーリ・FERRARI」は特別である。
見た目が斬新で期待と不安を抱かせたニューマシン
そんなフェラーリが、見た目に他のマシンと一線を画すマシンを発表して、驚いた記憶があります。
マシンのメカニック的な事は私にはわかりませんが、まずサイドポンツーンの空気の取り入れ部分・エアインテークの形状に大きな特徴があり、縦長の楕円の形をしており、何やら戦闘機を思わせるマシンとなっていた。
まず、このサイドポンツーンの形状が「カッコいい、、、でも大丈夫か、フェラーリ」
特にフェラーリびいきでもないものの、遅いフェラーリは見たくない、何となくそんな気持ちで斬新なエアインテークに期待と不安が入り混じっていた事を覚えている。
その次の見た目の特徴はフロントノーズで、吊り下げ式のハイノーズとなり、この部分に関しては当時のトレンドを踏んでおり、ある意味安心な部分であった。
その他、メカニカルな部分については、私では理解出ていない・説明出来ない部分がありますので、こちらで詳細をご確認頂けます
フェラーリ・F92A – Wikipedia
新たな布陣で挑む1992年シーズンも結果は、、、
ドライバーラインアップは、アラン・プロストがチームから去り、ジャン・アレジがファーストドライバーとなり、伝統のカーナンバー「27」を背負い、チームメイトには新たにイワン・カペリを迎えた。
| ジャン・アレジ(カーナンバー27) | フランス出身(前年に続きフェラーリ) |
| イワン・カペリ(カーナンバー28) | イタリア出身(レイトンハウスから移籍) |
見た目にも一新したマシンで期待を持って挑んだ1992年シーズンでしたが、結果は散々な結果となり最高位はアレジが記録した3位で入賞は6回、カペリはフェラーリ地元のイタリア人ドライバーとして期待されたものの最高位は5位で入賞は2回にとどまり、14戦をもって解雇される低迷ぶりだった。
カペリにいたっては、モナコGPで片輪をガードレールの乗り上げて、オンボード画面が斜めになっているところが映し出されるなど、成績以外で印象に残っている。
結局のところ、フェラーリ低迷期を象徴するマシンとなってしまった「F92A」
『遅いフェラーリは見たくない』、それだけに印象に残ったマシンとなりました。


コメント