表題の画像:出典Dan Smith – Takuma Sato at the 2005 United States Grand Prix, CC BY-SA 2.0
2004年シーズンはBARホンダから参戦で巻き返しを図る!
2023年はBARホンダのテストドライーバーとなった佐藤琢磨。
急遽参戦となった日本GP(鈴鹿サーキット)での6位入賞(当時は8位までが入賞)はもちろん2003年のトピックとなりましたが、やはりレギュラードライバーに昇格となった2004年シーズンが待ち遠しかった思い出があります。
チームメイトは前年から残留のジェンソン・バトンとなり、バトン・琢磨のコンビとなった。

(ジェンソン・バトン)

(ジェンソン・バトン)
ジェンソン・バトンは琢磨より2年早い2000年デビュー。
ウィリアムズBMWでデビュー後はベネトンルノー、ルノー(ワークス)、BARホンダと若くして経験も豊かなドライバー。
2003年でのBARホンダではチームメイトのジャック・ヴィルヌーヴよりもポイントを多く獲得した心強いチームメイトであり、反面手強いチームメイトとなった。
| カーNo. | ドライバー | 前年(2003年)ランキング |
|---|---|---|
| 9 | ジェンソン・バトン(イギリス・24歳) | 9位/17ポイント |
| 10 | 佐藤琢磨(日本・27歳) | 18位/3ポイント |
佐藤琢磨は第16戦日本GPにジャック・ヴィルヌーヴに替わり出走し6位入賞(3pt)
ただ、琢磨も2003年BARホンダで一年間テストドライバーとしてチームの一員として活動していた為、マシンに乗る機会や2004年マシンに関する情報も、あくまでも想像ですが恐らくはバトンと遜色なくあったと思われ、また2003年最終戦の日本GPでも、ヴィルヌーヴの代役としてきっちりと6位入賞した事から、デビュー時の2002年とは違い、シーズン当初から活躍してくれるのでは、と言う期待値も高かった様に思います。

(BARホンダ)
ブリヂストンとミシュランのタイヤ戦争
また、当時はブリヂストンとミシュランの激しいタイヤ戦争もあり、BARホンダは2004年からはミシュランタイヤの陣営となった。
タイヤもマシンの善し悪しを決める大きい要素になる為、ミシュランタイヤへ変更して一年目で、上手くマシンのセッティングが出来るのか、少し心配材料ではありました。
(ただ、シーズン前のテストではトップタイムもマークし順調だった)


| ブリヂストン陣営 | ミシュラン陣営 |
|---|---|
| フェラーリ | ウィリアムズBMW |
| ザウバーペトロナス | マクラーレンメルセデス |
| ジョーダンフォード | ルノー |
| ミナルディコスワース | BARホンダ |
| ジャガー | |
| トヨタ |
ブリヂストンとしては、トップチームはフェラーリだけで、ある意味一局集中の状態で、ミシュランは幅広く供給すると言う供給体制となった。
(この頃と言えば、ブリヂストンの浜島さんとミシュランのデュパスキエも良くテレビにも映っていましたね)
2004年シーズンの幕開け
そんなF1GP 2004年シーズンがオーストラリアGP(メルボルン・アルバート・パークサーキット)から始まった。
(8位までが入賞で、優勝が10Pで以下8P・6P・5P・4P・3P・2P・1P)
ヨーロッパラウンドに入ってからの、特にこの「フランス・イギリス・ドイツ」の流れ、そして「ハンガリー・ベルギー・イタリア」(もう少し前はポルトガルも)とくるのは当時の黄金の流れです。
| Rd.No. | GP開催地 | 決勝レース日 | サーキット |
|---|---|---|---|
| Rd.1 | オーストラリアGP | 3月7日 | アルバート・パークサーキット |
| Rd.2 | マレーシアGP | 3月21日 | セバン・インターナショナルサーキット |
| Rd.3 | バーレーンGP | 4月4日 | バーレーン・インターナショナルサーキット |
| Rd.4 | サンマリノGP | 4月25日 | イモラサーキット |
| Rd.5 | スペインGP | 5月9日 | カタロニアサーキット |
| Rd.6 | モナコGP | 5月23日 | モンテカルロ市街地コース |
| Rd.7 | ヨーロッパGP | 5月30日 | ニュルブルクリンクサーキット |
| Rd.8 | カナダGP | 6月13日 | ジル・ヴィルヌーヴサーキット |
| Rd.9 | アメリカGP | 6月20日 | インディアナポリス・モーター・スピードウェイ |
| Rd.10 | フランスGP | 7月4日 | マニクールサーキット |
| Rd.11 | イギリスGP | 7月11日 | シルバーストーンサーキット |
| Rd.12 | ドイツGP | 7月25日 | ホッケンハイムリンクサーキット |
| Rd.13 | ハンガリーGP | 8月15日 | ハンガロリンクサーキット |
| Rd.14 | ベルギーGP | 8月29日 | スパ・フランコルシャンサーキット |
| Rd.15 | イタリアGP | 9月12日 | モンツァサーキット |
| Rd.16 | 中国GP | 9月26日 | 上海インターナショナルサーキット |
| Rd.17 | 日本GP | 10月10日 | 鈴鹿サーキット |
| Rd.18 | ブラジルGP | 10月24日 | インテルラゴスサーキット |
| チーム | ドライバー | ドライバー |
|---|---|---|
| スクーデリアフェラーリ・マールボロ | ミハエル・シューマッハ | ルーベンス・バリチェロ |
| BMWウィリアムズF1チーム | ファン・パブロ・モントーヤ | ラルフ・シューマッハ |
| ウェスト・マクラーレンメルセデス | デビット・クルサード | キミ・ライコネン |
| マイルドセブン・ルノーF1チーム | ヤルノ・トゥルーリ | フェルナンド・アロンソ |
| ラッキーストライク・BARホンダ | ジェンソン・バトン | 佐藤琢磨 |
| ザウバーペトロナス | ジャンカルロ・フィジケラ | フェリペ・マッサ |
| ジャガーレーシング | マーク・ウェバー | クリスチャン・クリエン |
| パナソニック・トヨタレーシング | クリスチアーノ・ダ・マッタ | オリビエ・パニス |
| ジョーダンフォード | ニック・ハイドフェルド | ジョルジオ・パンターナ |
| ミナルディコスワース | ジャンマリア・ブルーニ | ゾルト・バウムガルトナー |
1年間のテストドライバーを経て、満を持して再度フルタイムレギュラードライバーとして参戦する佐藤琢磨。
期待をもった開幕戦は予選7位と健闘したものの、決勝は9位でポイントを逃すものの、チームメイトのバトンは予選が4位で決勝は6位に入りポイントをゲット。
(シーズンオフのテストで見せていた速さをキープしており、評判通りの速さを見せてくれた)
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■2004年 オーストラリアGP 予選TOP8
PP:ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
2位:ルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)
3位:ファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズBMW)
4位:ジェンソン・バトン(BARホンダ)
5位:フェルナンド・アロンソ(ルノー)
6位:マーク・ウェバー(ジャガー)
7位:佐藤琢磨(BARホンダ)
8位:ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズBMW)
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■2004年 オーストラリアGP 決勝TOP8
1位🥇:ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
2位🥈:ルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)
3位🥉:フェルナンド・アロンソ(ルノー)
4位:ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズBMW)
5位:ファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズBMW)
6位:ジェンソン・バトン(BARホンダ)
7位:ヤルノ・トゥルーリ(ルノー)
8位:デビット・クルサード(マクラーレンメルセデス)
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琢磨としてはシーズン開幕戦、予選も上手くまとめて決勝もポイントは獲得出来ずとも9位完走し、滑り出しは決して悪くはなかった。
| ジェンソン・バトン | 佐藤 琢磨 |
|---|---|
| 予選4位/決勝6位 | 予選7位/決勝9位 |
オーストラリアGP(メルボルン・アルバートパークサーキット)
(8位までが入賞で、優勝が10Pで以下8P・6P・5P・4P・3P・2P・1P)
ただ、チームメイトのバトンには負けてしまい、ファンとしては2002年のジョーダンホンダの時にフィジケラに完敗したことを何となく思い出すと同時に、「いやいや、イギリスF3時代にはセナの記録に並ぶ12勝を挙げた琢磨の方が絶対に速い」ととにかく、そこにすがる自分がいた様に思いますし、同じような気持ちのファンもいたと思います。
「とにかく結果を出して、日本の佐藤琢磨を世界に見せて欲しい」、勝手な思いかもわかりませんが、ファン心理としては、こう言う思いで観ていました。
2003年シーズンはテストドライバーとして一年間活動し、2004年は満を持してレギュラードライバーに昇格し、ある意味琢磨にとっても勝負の年。
次回以降も、マシンには速さがあり今後のレースの活躍も期待できた、2004年シーズンを振り返っていきたいと思います。
お楽しみに!



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