表題の画像:出典Mclarensenna – ジョーダン・EJ12(Public Domain)
F1ドライバーとして「鈴鹿」に帰ってきた佐藤琢磨
佐藤琢磨シリーズとして、シリース①・シリーズ②では、デビュー前やデビューシーズンの歯痒い思いを綴ってきましたが、今回はその苦しかったシーズンの中で迎えた地元GP。
鈴鹿サーキットで開催された2002年F1日本GPを綴っいきたいと思います。
鳴り物入りでF1にデビューしてきた佐藤琢磨を、F1ファンとしても「世界で戦える、勝てる日本人ドライバーが遂に出てきた!」と胸が躍りました。
ただ、現実は思っていた以上に厳しく、「琢磨はこんなもんじゃない!」と言うファン心理と言いますか、何とも言えない気持ちだった事を覚えています。
またそれはチームメイトのフィジケラの方がコンスタントに結果が良く、琢磨を応援するファンとしても焦りを感じてしまう一年でした。
(フィジケラはさすが、と言うべきだとも思います)
鈴鹿では琢磨本来の走りを見せる!
そんな中で迎えた、日本GP。(当時は全17戦でシーズン最終戦となる)
琢磨のモータースポーツ人生はこの鈴鹿から始まり、鈴鹿から世界に羽ばたいていった佐藤琢磨としては、この日本GPでは絶対に誰にも負けたくない、そんな気持ち・意気込みだったと思います。

(2002年 ジョーダンホンダ ドライバー:佐藤琢磨)
現実的にトップを獲る事はマシン的に不可能としても、気持ちではトップを獲るつもりで走って琢磨自身が満足いく走りをしてほしい。
この鈴鹿くらい琢磨に良い風がふいて欲しい、ファンとしてはそう願うしかなかった。
私は仕事の都合で現地観戦ではなくテレビでの観戦となりました。
テレビの放映時間が何時からだったかは覚えていませんが、決勝レースがスタートする時間になると、鈴鹿サーキットの方向を向いて、琢磨が良い走りを出来る様に祈っていた、そんな思い出もあります。

鈴鹿では何とか良い走りを見せて欲しい、運も琢磨に味方をしてほしい・・・
結果を先に言えば、この苦しかった2002年デビューシーズンの鬱憤を晴らす渾身の予選、決勝となり「ここ一番」で最高のレースを見せてくれ、本当に嬉しい気持ちになったことを覚えています。
この年はフェラーリ、ウィリアムズBMW、マクラーレンメルセデスの3チーム・6人のドライバーが安定したパフォーマンスを見せており(ドライバーズランキング1位~6位もこの6人のドライバー)、その後ろの争いの7位が第2のポールポジションとも言える位置で(テレビでもその様な解説がありましたね)そこのポジションに、この地元鈴鹿できっちりと琢磨が入ってくれた、これがもう本当に良かったです。
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2002年 日本GP 予選TOP7
PP ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
2位 ルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)
3位 デビット・クルサード(マクラーレンメルセデス)
4位 キミ・ライコネン(マクラーレンメルセデス)
5位 ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズBMW)
6位 ファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズBMW)
7位 佐藤琢磨(ジョーダンホンダ)
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予選はチームメイトのフィジケラ(8位)を上回る7位!

よしっ!琢磨予選7位!ここ鈴鹿では琢磨が主役になるぞ!
レースは、私が詳細を語るまでもなく5位でフィニッシュしてくれたのですが、テレビで観戦していてもチェッカーを受けた後の地響きの様な歓声で異様な雰囲気に包まれた鈴鹿サーキット全体の雰囲気が伝わってきて、それはもうF1ブームで沸いた1990年代前半の鈴鹿よりも凄かったのでは、と思います。
琢磨自身もそうだったと思いますが、ファンとしても本当に遂にやってくれた、やっと琢磨本来の走りを世界に見せてくれた、と表現しようのない身体から湧き上がる歓喜と同時に安堵を感じました。
この日本GPで優勝したフェラーリのミハエル・シューマッハも、確か上位3人のインタビュー時だったと思いますが、今日のもう一人の勝者として「佐藤琢磨」の名前をあげていましたね!

遂にやってくれた!
ここは鈴鹿!今日のレースの主役は間違いなく佐藤琢磨だった!
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2002年 日本GP 決勝結果 TOP6
1位 ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
2位 ルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)
3位 キミ・ライコネン(マクラーレンメルセデス)
4位 ファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズBMW)
5位 佐藤琢磨(ジョーダンホンダ)
6位 ジェンソン・バトン(ルノー)
(当時は6位までが入賞 1位が10ptで 2位以下6pt 4pt 3pt 2pt 1pt)
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後に佐藤琢磨自身もこのレースを振り返って、1987年に自分が初めて見た鈴鹿サーキットでのF1。
キャメルロータスの黄色のマシンに憧れ、そして自分自身がF1ドライバーとなって同じイエローのマシンでホンダとともに鈴鹿に戻ってきて、大観衆の前でレースが出来たことは格別で忘れられない出来事の一つ、と語っていましたね。
2003年シーズンはテストドライバーとなるもホンダとともに
2002年シーズン結果(ドライバー:佐藤琢磨)
| 2002年シーズン | GP開催地 | 予選順位 | 決勝結果 | ポイント |
|---|---|---|---|---|
| Rd.1 | オーストラリアグランプリ | 22位 | リタイヤ | 0pt |
| Rd.2 | マレーシアグランプリ | 15位 | 9位 | 0pt |
| Rd.3 | ブラジルグランプリ | 19位 | 9位 | 0pt |
| Rd.4 | サンマリノグランプリ | 14位 | リタイヤ | 0pt |
| Rd.5 | スペイングランプリ | 18位 | リタイヤ | 0pt |
| Rd.6 | オーストリアグランプリ | 18位 | リタイヤ | 0pt |
| Rd.7 | モナコグランプリ | 16位 | リタイヤ | 0pt |
| Rd.8 | カナダグランプリ | 15位 | 10位 | 0pt |
| Rd.9 | ヨーロッパグランプリ | 14位 | 16位 | 0pt |
| Rd.10 | イギリスグランプリ | 14位 | リタイヤ | 0pt |
| Rd.11 | フランスグランプリ | 14位 | リタイヤ | 0pt |
| Rd.12 | ドイツグランプリ | 12位 | 8位 | 0pt |
| Rd.13 | ハンガリーグランプリ | 14位 | 10位 | 0pt |
| Rd.14 | ベルギーグランプリ | 16位 | 11位 | 0pt |
| Rd.15 | イタリアグランプリ | 18位 | 12位 | 0pt |
| Rd.16 | アメリカグランプリ | 15位 | 11位 | 0pt |
| Rd.17 | 日本グランプリ | 7位 |
2002年シーズンは鈴鹿で幕を閉じる事になり、早速2003年に向けて進んでいくわけですが、琢磨も鈴鹿では渾身のパフォーマンスを見せることは出来たものの、シーズン通しては苦しい結果となった事、またホンダもエンジン供給を2チーム供給からBARに絞る事による影響や、その他様々な事柄もあったのだと思いますが、琢磨はジョーダンを去る事になり、2003年シーズンはBARホンダのテストドライバーとして活動する事になる。
2003年シーズンは琢磨のレースが見れない。
そんな現実も、ホンダとともに移籍したことで、いつかはレギュラードライバーとして必ず復帰するはず、と少しばかり安心や安堵感があったことを覚えています。
次回はBARホンダに移籍した佐藤琢磨のレースと、またその時に感じた私自身の心境などを思い出しながら綴っていきたいと思います!
お楽しみに!



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