表題の画像:出典LN9267 – 撮影場所: 澳門大賽車博物館, CC BY-SA 4.0
イギリスF3ではセナの記録に並ぶ勝利数!期待を持ってF1へデビュー!
佐藤琢磨シリーズとしてブログを綴っていますが、シリーズ①ではF1までのキャリアが、モータースポーツを初めてからたった5年でF1デビューまでたどり着いた、その特異なエピソードの概要を中心に綴りました。
今回はその続きとして、当時を思い出しながら、また自分の心情を重ね合わせていきたいと思います。
1987年に父親と一緒に鈴鹿サーキットで観戦したF1への憧れが捨てきれず、大学の時に自転車競技から、(大学を中退して)モータースポーツの世界に飛び込んだと言われる佐藤琢磨。

大学中退してまでとは、思い切ったことですよね!
失敗した事を考えると、普通はなかなか出来ないです。
それ自体、常人では考えられない行動力で、F1デビューまでに至る様々なエピソードを目にするたびに、その魅力にどんどん惹きつけられていきました。
鈴鹿にレーシングスクールが設立され、入学出来る年齢制限が当時20歳までと言うことで、その時にモータースポーツの世界に飛び込む決意をしたと言われていますが、その後の活躍を見ればわかる通り、レーシングスクール時代から速さを見せ、首席で卒業。
その後イギリスに渡って経験を積んだのちに、カーリン・モータースポーツからイギリスF3に参戦。
このイギリスF3での活躍は、F1デビュー当時、確かビデオかDVDだったかでイギリスF3に参戦していた琢磨の総集編みたいなのが販売されて(ネットで検索するとDVDでした)それを購入し、F1デビュー前のF3での活躍(当時からアグレッシブな走りでしたね!)を見る事になり、とても自分には出来ない事に、純粋に琢磨のいちファンとして結果に一喜一憂していくことになりました。
イギリスF3でもチャンピオンになり、セナに並ぶ年間12勝、と言う事実もあり、日本人F1ドライバーとして優勝はおろか、ワールドチャンピオンも狙えるドライバーとして盛り上がっていた様に思いますし、遂に世界で戦える日本人ドライバーが出てきた!と興奮した事を覚えています。

イギリスF3でチャンピオン!
セナに並ぶ記録!?
これは凄い!F1でも勝てるんじゃないか!?
F1デビュー時に話しを戻しますと、イギリスF3チャンピオンと言う称号に加え、マールボロマスターズやF3世界一決定戦と言われるマカオGPにも勝利し、当時のF3の頂点となってジョーダンホンダからデビューする事になった佐藤琢磨。
当時のジョーダンはトップチームとは決して言えなかったものの2001年のコンストラクターズ選手権では5位(11位チームが参戦)とまさに中堅争いの中でもう一歩上を狙っているチームでした。
またジョーダンはホンダエンジンを搭載し、琢磨にとってもモータースポーツを始めた鈴鹿レーシングスクール時代からともに歩んできたホンダのバックアップもあった事は確かだと思います。
ただ、それ以上に純粋にドライバーとして評価された日本人ドライバーだったと言う事も間違いなかったと思います。
オーストラリアGPでF1キャリアが幕を開けた
注目のF1デビュー戦はオーストラリアGP、メルボルンのアルバートパークサーキット。

(メルボルン アルバートパークサーキット)
フジテレビのテレビ放送ではSOPHIAの松岡さん(明確に覚えています)やその他タレントも琢磨の応援と称して、スタジオで観戦していたと記憶しており、時差の少ないオーストラリアGPと言う事もあり、確か放映時間も夜間ではなく夕方だった様な記憶があります。
(実況アナと今宮さんや川井ちゃんと言った解説陣だけではなく、タレントの起用は少しばかり違和感は感じましたが、それ程テレビ側としても佐藤琢磨で視聴率がとれる = 活躍の期待の表れだったんでしょうね)
ただ、予選結果は雨にたたられ琢磨はドライ走行が出来ずに、トップからなんと約27秒遅れの最下位となってしまう。急激な雨のため予選107%ルールは適用されず、決勝レースには出場。
※タレントも集めて大々的にテレビでも佐藤琢磨を応援する演出をしたフジテレビも、この結果に恐らくは微妙な感じだった事は想像されます。
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2002年オーストラリアGP 予選TOP6
PP:ルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)
2位:ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)
3位:ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズBMW)
4位:デビット・クルサード(マクラーレンメルセデス)
5位:ミカ・ハッキネン(マクラーレンメルセデス)
6位:ファン・パブロ・モントーヤ(ウィリアムズBMW)
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22位:佐藤琢磨(ジョーダンホンダ)
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急な雨の影響で27秒遅れの最下位。
何か、野球で言えば長嶋茂雄氏が4打席4三振だったデビュー試合みたい。
これも大物の予感であればいいな!
デビュー初戦の決勝はマシントラブルでリタイヤ。
大きい期待があった反面、当時は少し肩透かしをくらった感じがあったものの、当時は「いやいや、イギリスF3チャンピオンでセナと同じ勝利数の琢磨だからこんなものではないで!」と誰に言うわけでもなく、ひょっとしたら琢磨を応援する私自身に言い聞かせていたのかもわかりません。
2002年シーズンの試練:フィジケラとの対比
ただ、琢磨にとって、また琢磨を応援するファンにとっても、それからもF1デビュー時には想像もしていなかったとても歯痒くて厳しいレースが続き、琢磨自身のミスやマシントラブル、オーストリアGPでは病院に搬送される大きなもらい事故もあるなど、期待していた様な結果が全くついてきませんでした。
一方のチームメイトのジャンカルロ・フィジケラもリタイヤはありながらも、入賞を4回記録(当時は6位までが入賞)し、琢磨は年間を通してフィジケラの後塵を拝すことになり、ここもとにかく歯痒かった思いがあります。
2002年シーズンは全17戦、最終戦の第17戦は鈴鹿サーキットで行われる日本GP。
| ドライバー | 予選最高位 | 決勝最高位 | ポイント | リタイヤ |
| ジャンカルロ・フィジケラ | 5位 | 5位 | 7pt | 7回 |
| 佐藤琢磨 | 12位 | 8位 | 0pt | 7回 |
フィジケラはオーストリア・モナコ・カナダで5位入賞・ハンガリーで6位入賞
6位までが入賞(1位10Pt 2位以下6pt 4pt 3pt 2pt 1pt)
「こんなはずではない」琢磨自身がこの様に思っていたたどうかは分かりませんが、少なくとも私はその様に思っていた覚えがあり、また周りから「佐藤琢磨ってたいしたことないドライバー」と評価されてしまうのでは、と心配していた覚えもあります。
次回は、歯痒かった一年を払拭してくれた、鈴鹿サーキットで行われたF1日本GPでの走り。
2002年、鈴鹿での佐藤琢磨の活躍に日本のF1ファンが大いに盛り上がり、「やっぱり琢磨は速い!」と走りで証明してくれた。
次回はそんな2002年F1日本GPを振り返りたいと思います!
いざ鈴鹿へ!

(鈴鹿サーキット)



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