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1990年代前半のF1GPを彩った日本企業 – チーム編 フットワーク(Foot Work) – 後編

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表題の画像:出典Iwao | 提供元: Flickr | ライセンス: CC BY 2.0

記憶に残った『フットワーク無限ホンダと鈴木亜久里』の活躍

1992年は思う様な成績が上げることが出来ず、歯痒い一年を送ったフットワーク無限ホンダと鈴木亜久里。
このタッグで2年目となるシーズンは巻き返しを図りたいシーズンとなった。
1993年の亜久里のヘルメットの前部の中央には日の丸のステッカーも貼られていて、より日本色が強かったイメージがあります。

亜久里のチームメイトは、ミケーレ・アルボレートに変わりデレック・ワーウィックとなった。
アルボレートにしてもワーウィックにしても、派手さはないものの、今から思えばなかなか手強いチームメイトでしたね。
(今から思えば、結果としてチームメイトに完敗したこの2年間で亜久里のF1でのキャリアは決まってしまったのかもしれません)

マシンのカラーリングやスポンサーは、ほぼ前年の1992年そのままで、マシン形状で一番目についた変更点はフロントノーズにあった。
前年マシンのノーズは例えるなら、FA13は「ジョーダン方式のノーズ」だとすれば、FA14は「ベネトン方式のノーズ」だと言えるかもわかりません。
(もちろん形状はそれぞれ違いますが、大きく分類すれば、と言う事で分類しました)

私の記憶だけをたどれば、1993年は「鈴木亜久里が上位で活躍した年」と脳内にインプットされていました。
ただ、改めてネット等で当時のデータをみてみると必ずしも、初戦からマシンが早かった訳では無く、シーズンの途中から、マクラーレンのアクティブサスペンションを購入して搭載してからだったんですね。
アクティブサスペンションを搭載してから速くなった事は記憶にありましたが、それはシーズン途中の第9戦・イギリスGPからだった様です。
(また、リアウィングも2段式(ネットで調べるとメゾネットウィングと記載がありました)のウィングも特徴的でしたね!)

アクティブサスペンション導入後

アクティブサスペンション導入後は、フットワーク無限ホンダ、鈴木亜久里は予選でトップ10の常連になった事で(チームメイトのワーウィックも)日本人が予選のトップ10に常に入ってる!って言う事実がそれまでに無かった事でしたので、亜久里が最も活躍した一年、と言う事で自分の記憶の中に残っているんだと思います。

特にベルギーGPでは予選6位で、フジテレビのF1中継でもスタート前、決勝グリッドでのレポートの際、確か緑色の芝生の上で、ガードレールにもたれた亜久里が座っていて、大きい白い前歯を少し出しながら、凄く穏やかな表情を見せていたところがテレビに映っていたところが今でも目に浮かびます。
(この時の予選はPPがアラン・プロスト、2位がデイモン・ヒル、3位がミハエル・シューマッハ、4位がジャン・アレジ、5位にアイルトン・セナ、6位に鈴木亜久里で、亜久里はセナと並んでのスタートでした)

日本GPと亜久里への期待

また、10月の日本GP(鈴鹿サーキット)では1990年の表彰台の再現が大いに期待される中、予選は9番手!
予選9番手もポイントを狙える十分に良いグリッドなのですが、ベルギーGPでは予選6番手も記録した亜久里にへの期待は大きかっただけに、もう少し上のグリッドに着きたかったのが正直なところだったと思います。(それだけ亜久里への期待値も高かった)

当時のフジレテレビの中継では、確かチームメイトのワーウィックにタイムを抜かれた時(ワーウィックは予選7番手)、亜久里と大橋オーナーが映し出されていて、先にいかれたか、と言う亜久里と大橋オーナーの表情が思い出されます。

ただ、決勝レースはマシンの信頼性が低く、ギアボックス等のトラブルも多発し、亜久里にいたっては7戦連続リタイヤもあり、結局この日本GPでもポイント獲得はならず(日本GPは自身のスピンでリタイヤ)と言う一年でした。

亜久里が活躍、特にシーズン中盤以降の予選では、今までの日本人ドライバーではあり得なかった、予選トップ10圏内の常連で活躍したイメージがあったシーズンでしたので、改めて振り返り、ノーポイントに終わったシーズンと言う事実に少し驚きました。
(チームメイトのワーウィックは2戦で入賞:4ポイント)

フットワークの終焉

この後、フットワーク本体の経営が厳しくなり(バブル崩壊の影響もあったのかもわかりませんね)チームは混沌とした状態になっていった、と言う記憶があります。
(結局、運送会社としてのフットワークも後に倒産し、その後過程を経て現在のJPロジスティクスにいたります)

また、ネットでの情報と重ね合わせて、自分の記憶を辿ってみました。

フットワークからアロウズへ名称変更となり、カラーリングもそれまでの日本をイメージしたものとは全く違い、なにやら幾何学模様なカラーリングになり(雑誌のF1速報でも、亜久里は乗れるのか、かじりついてみていた記憶が戻ってきました)またエンジンも無限ではなくなり、フォードへ変更。
(今から思えば、この時点で亜久里のシートは無かったのかもしれないですね、、、)

まとめ

そんなわけで、結局亜久里も1994年のF1のシートを失う事となり、1992年、1993年とF1での一つの歴史を作った、フットワークと鈴木亜久里とが挑んだF1の一つの章が幕を閉じました。

前編と後編にわたって、『F1GPを彩った日本企業 – チーム編 フットワーク(Foot Work)』と称して綴ってみました。
また、特定のドライバーやチーム、サーキットやレースなどにフォーカスをあてて綴っていきたいと思います!
次回もお楽しみに!

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