表題の画像:出典 nimame | 提供元: Suzuka-circuit | ライセンス: CC BY 2.0
今さら振り返る・1991年日本GP(鈴鹿サーキット)
1991年の鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリを振り返り、その当時にテレビ観戦した時を思い出しつつ、懐かしさにも浸ってみようと思い、頭の中をあの頃に・・・!
あの頃の自分は中学生、1991年なんか今みたいにネットもないし、チャンネルを「8」チャンネルに合わせてただただテレビでF1がするのをわくわく待っていた。
テレビ放送は夜の7時か8時?位からと記憶している。
いわゆる『ゴールデンタイム』であり、当時の日本におけるF1ブームが垣間見える出来事でもある。
(ひょっとするとニュースでレース結果はしていたかもわからないが、夜の放送までレース結果はわからなかったので、ドキドキで始まるのを待っていた)
『ネットも無ければ、もちろん動画なんてない』
そんな時代、新しく買ってもらった新品のビデオテープだと確認をして(ビデオの爪が折れてないテープかを確認して)もちろんしっかりと録画をした。
上書きは映像が乱れるから、日本GP用にが新しいビデオテープを買ってもらって準備OK!
(また、しっかりと録画出来てるか録画中も不安で、再生してちゃんと録画出来てたら、ひと安心って、この当時ならではのあるある、である)
いよいよテレビが始まると、まずカッコいいオープニング画面から始まり、カッコいい音楽が流れ、F1ワールドが始まっていき、引き込まれていく。
このレースの焦点は、マクラーレンホンダのアイルトン・セナとウィリアムズルノーのナイジェル・マンセルのワールドチャンピオンをかけた戦い、、、そして今期で引退をする日本人フルタイムドライバーの開拓者、ティレルホンダの中嶋悟の鈴鹿ラストラン、このレースは特別な意味を持つ一戦だった。
(今から振り返ると、初めて見るレースにして非常に重要なレースだった)
さらには、ベルギーGPからベルトラン・がショーに変わりジョーダンフォードから衝撃のデビューを果たし、その後ベネトンフォードに電撃移籍した驚異の新人ミハエル・シューマッハにも注目。
また、前年は表彰台に上がったものの、今年は苦しいレースが続くラルースの鈴木亜久里。
亜久里にもここ鈴鹿ではトラブルフリーで何とか完走して欲しいと言うファンの願い。
また深紅のフェラーリはどの様な走りをするのかも注目ポイント!
ホンダV12エンジンサウンドが轟く、鈴鹿サーキット!!
PPはゲルハルト・ベルガー
ポールポジションはアイルトン・セナのタイムを上回ったゲルハルト・ベルガー。
予選のタイムは確かテレビで「1’34’699」と表示され、その後公式タイム?は「1’34’700」になっていた事は30年以上経った今でも鮮明に覚えている。
今、改めてネットで確認すると当時のPPタイムは1’34’700となっているので、それが公式タイムで間違いないと思うものの、私と同じで自分の中では、あのベルガーのPPタイムは1’34’699と思っている当時のF1通は必ずいるはず(笑)
そして予選2位には同じくマクラーレンホンダのアイルトン・セナ。
前年までのPPの位置はイン側だったが、レコードラインがアウト側の為、PP側がグリップ不足で不利な為、1991年からPPがアウト側になった。
確か、1990年にPPでイン側からのスタートとなったセナもPPはアウト側にすべきと訴えていた一人であったはずだったかが、1991年はPPを獲れず2番手で奇しくもイン側からのスタートとなる。
3番手はセナとワールドチャンピオン争いをしているウィリアムズルノーのナイジェル・マンセル。
日本人ドライバー、鈴鹿ラストランの中嶋悟は15番手から、前年この鈴鹿で表彰台も今期はマシントラブルに泣かされている鈴木亜久里は25番手からのスタートとなった。
当時古館アナが付けたあだ名「ドイツの若き新鋭・F1ターミネーター」こと、ミハエル・シューマッハもベネトンフォードから予選9番手に入っており、この後の新たなF1の歴史を作っていく片鱗が垣間見えていますね。
5.86403km×53周のレースがスタート

レースが始まるとPPからスタートした、マクラーレンホンダのベルガーがそのままトップで1コーナーに飛び込んでいき、2位にセナ、3位にウィリアムズルノーのマンセルと言う序列でレースは進んでいき、ベルガーがどんどん逃げ行き、セナがマンセルを抑え込むと言う展開。
マンセルにとってはワールドチャンピオンを獲得するためには優勝をするしかない状況で、セナに抑えられ、ベルガーに逃げられる苦しい展開。
そんな膠着状態でレースが進んでいくと思われたレース序盤でマンセルが1コーナーで曲がり切れずに、サンドトラップにはまってしまい、リタイヤ。マンセルは砂けむりにつつまれた。
大英帝国の愛すべき息子、ナイジェル・マンセルの戦いはここで終わった。
・古館アナ「ここで、マンセルの鈴鹿が終わったー!」
・今宮さん「一年が終わったんです」(少し声が震えながら)
このやりとりも、覚えている人、多いと思う!
(今宮さん、冷静やけど感情抑えきれないところが、人間味が出てて、そこがまた良かった)
↑
このシーンは録画したビデオで何回も何回も見返して、その時のマンセルの心情やセナの心情やファンの心情とか、またTVに映ったフランク・ウィリアムズは何を想っているのか、古館の実況、今宮さんの解説など色々と想像した。
マンセル・スピンのシーン
あのシーンはセナの後ろについていたマンセルが1コーナーに飛び込んだときに、一瞬マシンの挙動がグラっと振られて、マンセルがカウンターをあてた、そう思ったらコントロールを失った状態になり、それでも縁石に乗りながら姿勢をキープしようとしつつ、やはりマシンの挙動を立て直すことが出来ずにグラベルにつかまった、そんなシーンだった。
古館の「マンセルがアウトをくらってサンドトラップ突っ込んでいる!マンセルがサンドトラップに突っ込んでいる!空回りー!空回りー!タイヤが空回りホイルスピーン!」っと言う感じの実況が甦ってくる。
(当時はホイルスピンと言う単語自体を知らず、オイルスピン?オイルに滑ってスピン?と思ってた)
※さっき、この場面ユーチューブで見返したけど、当時を思い出します。
YouTubeでこの1コーナーのシーンがありました『DEFAULT ARMY』さんのチャンネルです。
動画をアップロードして下さっている『DEFAULT ARMY』さん、ありがとうございます!
このマンセルのスピンのあと、ウィリアムズのパドックが映って、フランク・ウィリアムズは茫然としながらも内面ではにかみ・悔しそうな顔、パトリック・ヘッド(懐かしい)はマンセルやっちまったか~にも見える苦笑い風の顔、そして、フランクの後ろに立つ女史、そうアン・ブラッドショー(この人を懐かしいですね)も映ってた。
※90年代~2000年代前半に特にF1に熱量を注いでいた身としては、あのフランク・ウィリアムズやパトリック・ヘッドと良く一緒にテレビに映っていたアン・ブラッドショー女史は今?とやっぱり思いますよね!?
ついつい検索窓で「アン・ブラッドショー」と・・・
詳細はF1速報の記事をご覧ください。
(ただ、この記事も正確にいつの記事なのか、日付けに関してはわかりませんでした)
鈴鹿ラストラン・中嶋悟も無念のリタイヤ
で、その後、鈴鹿ラストラン、ティレルホンダの中嶋悟がS字コーナーで一直線に突っ込んだシーン、「え!」って思ったのも覚えている。
マシンから降りてから確か、少しだけ小高いところからサーキットを少し見ていたシーンが印象的に残っている。
覚えている人もいると思いますが、いきなり画面が切り替わったと思ったら、中嶋が一直線にタイヤバリアにズドン、でした。
中嶋も当時の自分から見ると、おっちゃんだな、と思ってたけど、自分は当時の中嶋よりもさらにおっちゃんになったのも、何か感慨深いし、また、そんな30代で世界と戦った、F1フルタイムの先駆者って本当に大変だっただろう、って、自分が30代の時にそんな事を果たして出来ただろうか?と考えると改めて凄い事だと思う。
やっぱり、F1って欧州のスポーツだから、アジア人?日本人?Hondaや日本企業のスポンサーのおかげか?と揶揄された事もあっただろう。
それは、確かにそれも間違いなく、あった事は確かだろう。
でも、日本人でロータスホンダでデビュー、チームメイトがいきなりあのアイルトン・セナって今から思えばとても凄いこと。
それは、もちろんhondaあっての事、またスポンサーあっての事だったけど、それもありながら、やっぱり「中嶋悟」と言うレーシングドライバーをスポンサーするに値した、そうさせてのは中嶋悟自身だったんだね、と人柄も含めてそう思う。
実際会った事もなく、面識もないけど、メディアでの振る舞いとか見ても中嶋が日本のF1フルタイムドライバーの先駆者って後世に伝えるに相応しい人物だった。
また引退会見も日本語で行っていたのも時代を感じると言うか、印象深いよね。
鈴木亜久里とか片山右京は英語を流暢に喋れたのかな~?佐藤琢磨はペラペラやったし、それ以降の日本人ドライバーは英語も流暢だと思うけど、中嶋もその中でマシンの感触とかエンジニアとコミュニケーションをとっていたとしたら、本当に本当に凄い苦労もあっただろうな、と思う。
もう一人の日本人ドライバーの鈴木亜久里はエンジントラブルでリタイヤ。
前年の歓喜の表彰台とはうって変わって1991年の亜久里を象徴するリタイヤシーンになってしまった。
(この年はマシンが駄目で、ラルース壊れまくっていた)
ベルガーが優勝
で、最後はその後、トップを走っていたセナが最終ラップの最終コーナーでベルガーに譲って、ベルガーが優勝(ベルガーはマクラーレンで初優勝)
このシーンも凄く印象に残っています。
・古館アナ「ベルガーに譲ったセナ!そして手を挙げたー!」
・古館アナ「ワンツーフィニッシュ!!」
・森脇さん「凄い!」
↑
この古館と森脇さんの言葉も覚えている人、多いんじゃないかな、と思います。
初めて見たF1 1991年日本GP(鈴鹿サーキット) どっぷりはまってしまいました。
このレースのレポートは『鈴鹿サーキットの・日本グランプリレースレポート』にも掲載があり、当時を思い出させてくれます。
鈴鹿サーキット モータースポーツライブラリー|モータースポーツ|鈴鹿サーキット
また、『ウィキペディア』の『1991年日本グランプリ (4輪)』にも載っていますが、当時のドライバーの名前やチーム名も載っていますので、このウィキペディアのページから離れられない人が続出するのでは、と思います(笑)
1991年日本グランプリ (4輪) - Wikipedia
こんな感じで、どっぷりはまった1990年代初頭のF1ブログを記していきたいと思います!



コメント